今回、僕の勉強している理由の一つをご紹介します。
理由の一つとは、僕の読書、経験を通じて学んだ話です。
はじめに、簡単なバックグラウンドの説明をします。
僕は、小学校の低学年のころから大学生まで本気でサッカーをしていました。
正直、大学生までまともに勉強をしていませんでした。
しかし、あるきっかけで自分なり勉強とはどういうものなのかが感じ取れるようになってきました。
そのきっかけと言うのが、高校3年、サッカー部のキャプテンとして生活していた時に起こった、
チームのある問題です。
その状況を見かねたラグビー部の先生が、僕に「人の上に立つ人は、やさしさだけでは、人はまとめられない。」と言って、司馬遼太郎の『国盗り物語』を薦めてくれました。
その本を読み進めていくと、本の内容と自分の体験してきたことが完全に一致をしていないにも関わらず、共感できたのです。
つまり、自分と重ね合わせていたのです。
今まで、勉強に対してのイメージは、机に座って、つまらない先生の話を聞くことやノートの暗記、受験勉強などの生活する上で直接的に関係のないことのためだけだと思っていました。
これ以降、本の内容を自分の体験として、自分の考え方として、吸収しているという実感を持てるようになりました。
しかし、この時点では、勉強や学ぶことに対して、理解としてはまだまだ漠然としたイメージでした。
ここからさらに理解を深めたきっかけと言うのが、大学生の頃に始めた小さなビジネスです。
ビジネスを通じて、世の中をもっと知りたくなりました。そして、様々なことに対して具体的な興味が出てきました。
また、読書を通じて学んだ方法や概念などの考え方を利用して、ビジネスに活かすという流れが生まれました。
恥ずかしい話ですが、この気持ちの動きから、自分から初めて本を買うようになりました。
これらの読書体験を通して、学校の授業や読書などの学びというものが、何なのか自分なりに答えを出せるようになりました。
その答えとは、学びとは解釈をすることである。
ということです。
もちろん、様々な解釈があり、100人いれば100通りの解釈があるだろうし、自分一人でも何通りの解釈ができます。
そう考えて、様々な解釈を手に入れることが重要だと考えたこともありました。
しかし、最近は、ある問題を解釈するために、自分にとって、しっくりとくる解釈を見つけれればそれでいいんじゃないかと考えています。
もっと追及すると、読書だけでなく、人との出会い、読書、ドラマ、映画、恋愛、遊びなどを通して経験すること。
経験するだけでなく、そこから反省して、自分の解釈を見つけ出すことが重要であるということに気づきました。
学びは、読書や学校での勉強だけではないことに気づきました。
それよりも、もっと重要な点にも気づきました。
解釈を見つけ出すためには、まず先に問題を見つけ出さなければいけないということ。
そして、世の中がどのような仕組みなのか?を知るということは、問題発見のきっかけになるであろうということ。
以上の考察を通して、単純に勉強する理由も見つけることができました。
だから、僕は問題意識と解釈のレベルを上げたいと考えて、大学以降も学ぶことを選びました。
次回は、なぜ中国の大学院進学を決めたかついて話していきます。