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「国家はなぜ衰退するのか」を読んだ後に感じたこと及び考察


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 今回は、以下の要約から拡張して考えていきたいと思います。

 

 『収奪的な制度の下では持続的な成長やイノベーションはない。』

*まるまる文章を抜き取ったわけではないです。ある部分の要約です。

 

 

 この本では国家やある地域について述べている。だから、自分の立場や自分に近い立場での事例を思いつくのに多少の想像力が必要になる。

(ちなみに本を全部まだ読んでいないので、今後の展開である組織などの小さなグループについても触れるのかもしれない)

 

 だからこそ、自分の立場や自分に近い立場での事例を考えることで付加価値を生めるのではないかと思う。

 

 では早速、考察を進めていきます。

 

 はじめに、今回の『収奪的な制度の下では持続的な成長やイノベーションはない。』と言うのを少し詳しく考えてみたいと思います。

 

 国家やある地域に関しての収奪的な制度、言い換えると、絶対王政・奴隷制・農奴制・封建制などのある人から金や物や人といった資源を取り上げて、その資源をエリートや王様のために使うといった制度です。

 

 このような制度では、奴隷や農奴といった人たちに何か新しいことをしようとかもっと効率的に作業をしようとかのインセンティブが働きません。

 

 さらに、これはエリート側にも言えます。エリート側には奴隷や農奴が反抗しないように管理し、自分達の利益を守るといった方向にインセンティブが働くので、奴隷や農奴が効率良く働くため・新しいことをするためといった方向にインセンティブは働きません。

 

 新しいことに対するインセンティブが働かないということは、ある程度の成長が終われば停滞を意味します。そして、停滞は衰退を導くことになります。

 

 最終的に、エリート側の力が衰え始めて、奴隷や農奴や他民族や他の国家に滅ぼされます。

 

 つまり、奴隷制・農奴制・封建制といった政治制度下では、経済的なインセンティブが働かないので、技術や方法が持続発展しません。

 

 以上ここまでが『収奪的な制度の下では持続的な成長やイノベーションはない。』といった要約の正体です。

 

 では、自分なりに具体例を考えていきたいと思います。

 

 ここでいう収奪的制度を言い換えて、強大な権力で統治する制度や暴力的な何かなどで統治する制度と考えて考察していこうと思います。

 

 僕は、小学校から大学生までずっと真面目にサッカーをしていました。

 

 僕の高校時代のサッカー部での話です。

 高校では、軍隊式で監督やコーチの言っていることは絶対であるという風潮がありました。自分は比較的自由な発想でいた方ですが、他の人たちの間ではそうではありませんでした。

 

 元々は悪いことをして酷く怒られた人からその話が部内の人たちに伝わっていくに従って、元々の意味合いから離れて、監督やコーチに意見をしたら怒られるに変化していきました。

 

 このような話は数年かけて蓄積されたもので、先輩から後輩へと伝播していきました。

 

 当時の僕は、なんで正当な意見が頭ごなしに否定されるんだと思っていましたが、監督やコーチとコミュニケーションを取っていると、監督やコーチは噂とは反対に、生徒自身が考えることを求めていることに気づきました。

 

 僕が当時キャプテンだったこともあり、監督やコーチとコミュニケーションを多く取らなければいけない立場だったことが気づけた大きな原因です。

 

 僕が怒られた内容を整理してみると態度やキャプテンとしての振る舞いで怒られることがほとんどでしたが、考えて取り組んだことに対しては一切怒られることがありません。

 

 しかし、部内の多くの人は監督やコーチに対して怯えていました。

 

 このような状況下では、監督やコーチや先輩に対して自分の意見を言うというインセンティブは働きません。逆に、言わないで無難に生活していこうというインセンティブが働きます。

 

 こんな状況で新しい戦術やさらに上手くなるための練習について考え・実行するためのまともなインセンティブが働くわけがありません。

 

ここまでの状況を整理すると、

①監督やコーチは考えることを求めている

②噂が一人歩きし、監督やコーチが恐れられている

③部員は意見も思考することも消極的になっている

 

 そして、一見『①監督やコーチは考えることを求めている』としているため、

強大な権力で統治する制度や暴力的な何かなどで統治する制度ではないと考えることができます。

 

 しかし、『②噂が一人歩きし、監督やコーチが恐れられている』『③部員は意見も思考することも消極的になっている』の2つの状況を作り出したのは、意図しているか意図していないかに関わらず、紛れもなく監督やコーチです。放置しているのも監督やコーチです。

 この問題は内側から解決できる問題ではないのです。何より、当時の僕は何でみんなが自分から思考しないのか理解できなかったし、組織全体を俯瞰するような能力はありませんでした。

 

 以上のように個人の能力的な問題もあるし、以下のような組織の構造的な問題もあります。

 

 高校の監督やコーチは他の監督やコーチと入れ替わることはほとんどありません。長期的に正しい方向性のPDCAを繰り返せば、強くなれるというメリットがありますが、方向性の間違ったPDCAをした場合、どうしようもなくなります。

 

 今回の場合、国などの大きな組織での自分の立場を守るというインセンティブとは違って、安定へのインセンティブが強かったから『②噂が一人歩きし、監督やコーチが恐れられている』『③部員は意見も思考することも消極的になっている』ということに気づけなかった、もしくは、改善策が見出せなかったのではないかと感じています。

 

追加事項ができたので、もう一度、ここまでの状況を整理すると

①監督やコーチは考えることを求めている

②噂が一人歩きし、監督やコーチが恐れられている

③部員は意見も思考することも消極的になっている

④長期間同じ指導者である

 

 

 今回の考察を通して学んだことは、

 ①時として指導者やトップの人が意図していなくても、組織自体が内向的なものに変わってしまう。

 ②こうならないためには(もしくはなった後)、指導者自身が創造に対してインセンティブを見出さなくてはならない。または、インセンティブを作り出す。

 ③指導者自身が創造に対してインセンティブがあれば、組織自体の構造を変えたりして、創造しやすいような制度を作り出せる。(思考する方向のインセンティブを作り出すような制度)

 ④指導者自身も創造的破壊のシステムに身を投じなければならない。

(ここに関しては論理の飛躍がすごいですが、今回は見送ります)

 ⑤さらに、後継者やさらに続いていく後継者が権力や暴走などの方向に走らず、自らが創造的破壊のシステムに身を投じるような制度設計が必要。

(ここに関しても論理の飛躍がすごいですが、今回は見送ります)

 

 また以上のことをまとめて思ったんですけど、

 

 個人にとっては、成長や安定はいいことなのかもしれないけど、衰退は嫌なことですよね。

 

 さらに、組織全体にとっても成長や安定はいいことのように思えますが、衰退は嫌なことのように思えますね。

 

 だけど、組織内部に目を向けてみると、組織を構成している個人個人は衰退をして消えていかないと組織自体が徐々に閉鎖的・内向的なものに変わってしまうというジレンマがあります。(今回の僕の部活の例がいいものではないでしょうか)

 

 自己中心的に自分の利益を追求するのか、それとも組織や国といった全体としての利益を追求するのか。極端な例で言いましたが、実際は制度的にバランスをとることが重要だと思います。ある部分では個人に利益があるが、ある部分では組織に利益があるというように。。。

 

 ただし、何か大きなことを起こしたいとかこんな価値観があるべきだとか考えて、実際に行動する場合は、自分の考え方にバランスを求めることは邪魔でしょう。

 

 僕は、交渉にバランスは大事だと思いますが、自分の考え方にバランスは必要ないんじゃないかと考えています。