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ビジネスの視点で「価値について」論理を自分なりに構築してみる


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目次

つい最近まで、僕の関心ごとは、今後、自分がどのように生きていくか?どのように生きていくことが楽しいか?ということでした。そこで僕自身が何を大切にしているのか?どんな時が一番楽しいのか?などを考え続けていると、いつの間にか、価値って何なのか?何に価値を感じるのか?人が価値を感じるとはどういうことなのか?といった一般的な問いに変わってきました。

この問いに変わった原因は、僕自身が経済学を学んでいて世の中全般に興味を持っているからでしょう。笑

そこで、ブログであれば他人が見ているので、整理して分かりやすく伝えようというインセンティブが働きます。分かりやすく伝えることができたら、自分の理解につながるはずです。

ブログに書けるテーマも以外と限られた内容になってくるので、この機会を逃すわけにはいかないということで、早速書き始めたいと思います。結果的に良くわからんことを言っているかもしれませんが、発散的に書かせていただきます。笑

 

価値とは何か?

僕の今の理解で言うと、価値とはある事象や事物を見たり・聞いたり・触ったり・味わったり・嗅いだりして、その行為や存在について良いか悪いかを判断すること、また、判断だけでなく、価値判断と関係する事物の存在や行為そのものを指す言葉だと思っています。

人がある事物や現象を五感を持って認知した時、良いと感じるものが価値があるとされ、悪いと感じるものが価値がないとされると考えています。

価値の起源

価値という概念は古代ギリシャのプラトンの善のイデアというところから始まっています。しかし、価値に対して注目が集まったのは、19世紀末からで、現在経済学上の言葉としては明確な意味を持っていますが、哲学的価値に関する話も19世紀末に経済学上の価値論争に紐づく形で議論が深まっていったようです。

(コトバンクを参考:価値論(かちろん)とは - コトバンク

 

ここで疑問なのは、経済学上の価値は分かりやすいのですが、哲学的価値とはどのようなことなのでしょうか?

哲学的価値の探求とは大まかにこんな感じに進められていたようです。

・価値とは欲望や感情の対象かな?

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・価値とは主体の要求に制約されることのないものであり、事物と価値は別々に存在しているのかな?(しかも価値は客観的で絶対的なので、価値の秩序が存在するとも考えられている)

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・価値が実際のモノに紐づくんじゃなくて、観念・理念的なものだったとしても価値の秩序やら体系なんか存在しないでしょ?最終的には究極の価値同士の対立関係なんじゃ?

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・価値って事実とは違って、人間の感情とか行為の機能なんじゃないの?

(みんなにある程度納得感ある形で受け入れられているのがここから)

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・ていうか価値ってある程度、個人や集団に依存するよね。

(みんなにある程度納得感ある形で受け入れられているのがこの辺り)

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ここまでの話をまとめると、

価値について研究が盛んになったのは19世紀末の話で、価値ってそもそも何だよ?っていう哲学的問いからスタートして、今は、価値って結局は人によって感じ方(意味)が違うよね〜っていうところで落ち着いています。

 

価値の必要要素

価値を感じるために必要なことって何だろう?

基本的に上のお偉い哲学者が考えたことを大まかにまとめを参考にすると

・人

・事物

・感情

が最低でもなかったら、人が物事に価値を感じることはないよなってことが分かりました。つまり、人が事物を見て感情で価値判断するわけです。

そこで気になるのが、人の感情は何の影響を受けるのでしょうか?

それは、その時の状況・気分や育ってきた環境といった要素で感情に変化が生じることが想像に難くないです。また、集団において共通する環境が提供されることから、一定のレベルで共通する感情があるとも考えられます。

さらに、価値判断は環境などといった要素の組み合わせだけではなく、時間の流れによっても変化します。そんな中、現在の世界は世界中がインターネットで繋がったおかげで人々の価値判断は急激な変化を遂げているといったことが言えると思います。

 

価値の多様性

上記では、現在インターネットによって人々の価値判断は急激な変化を遂げていることを述べました。ここでは、そのことについてさらに言及していこうと思います。

以前の村社会などの小さな社会で生活する分には自分の感覚だけで社会のニーズや価値判断の変化に対して対応できたので、旧来の管理システムで十分でしたが、今の世界では、どこにいても国際的な関係性の中で人々が生活しています。基本的には個人や労働者の視点からでは意識することはありませんが、管理者や経営者などの資本者からすると非常に複雑な世の中になってきており、世の中の流れを昔ながらの方法では読むことができなくなってきています。

また、グローバル化では特定の分野においては価値判断の統一化が進みますが、人間は現実世界で生きているため、現実社会の変化は人間の住む土地や環境が大いに関係します。なので、ネットの影響によって価値観の衝突が多数発生し、変化が加速しているとは言えると思いますが、価値観自体が完全に統一されていくことはないと考えています。(価値観の大きな流れとしては一つに向かっていきますが、細かい部分では依然として多数の価値観が存在するはず)

そのため、世の中にある一種のサービスが存在としてもその評価の良し悪しは今後も人によって変わることが予想できます。

だから、一人の経営者や会社が全てのニーズなどの価値判断に答えられるわけがなく、会社自身の価値判断に沿って、世の中のニーズを満たしていくことが必要です。さらに、あるニーズを満たすと新たなニーズが生まれるのが世の中の常ですので、価値判断の変化は今後も変わることがありませんし、ニーズがなくなることもありえません。

会社は常に人々の価値判断の変化とニーズの変化に対応しなければなりません。

そこで会社は、人々の価値判断の変化、ニーズの変化、ニーズの規模、技術の発展を注視することで、初めて人々に価値の提供をすることができます。

僕はこれらの動きに合わせて適切な事業運営をすることが今後の世界で求められていることだと考えてます。これはつまり、変化の激しい時代であると同時に、チャンスが常にある時代とも言えるでしょう。

 

価値の種類

価値にはどんな種類があるのかな?ということでコトバンクから丸ごと引用した上で、考えてみたいと思います。

一般に「道徳的価値」「美的価値」などと使用されるが,さまざまな意味をもっている。 (1) 哲学的には,人間主体欲求や関心に対して対象のもつ意味をいい,それゆえ欲求や関心の度合いにより価値は相対的なものともなる。欲求や関心の種類に応じて,経済的,宗教的,理論的,道徳的などの価値に分けられる。古来,真,善,美,有用性などが哲学上の絶対価値とされてきた。経済学においては有用性の面から物の価値がはかられ,生存における直接的有用性から評価される使用価値と,他の財との相対関係においてもつ交換価値に分けられる。これらの価値の成立,諸価値の体系化を試みる学を価値論 (→価値学説 ) と呼び,価値一般,すなわち真善美などの絶対的価値との関係においてなされる判断を価値判断という。後者は事実判断に対する語。 (2) H.ラスウェルによれば,Aが価値Vに関し,これをBに対して付与ないし剥奪できるとき,AはBの行動様式を支配できるとされている。したがって価値は人間の行動を左右する規範的基準である。この意味で政治とは価値の権威的配分であるといえる。政治において配分される価値は経済的価値 (富) ,社会的価値 (名誉) ,権力という価値である。そしてこの配分の仕方が政策となる。

参照元:価値(かち)とは - コトバンク

 

ここで言っている価値を抽出してみると、

経済的価値

使用価値

交換価値

宗教的価値

理論的価値

道徳的価値

真善美的価値

社会的価値

権力的価値

などが挙げられるようです。

 

また、

価値の機能的な側面に注目すると、普遍的価値、価値の妥当性といった角度からも考えられるんですが、ここでは直接的に関係ないので考えません。

ついでに、はっきり言うと、、、

上記の価値の種類についてはあまりにもしっくりこないので、自分なりに整理してみようと思います。

どうやって分類しようか検討もつきませんが。。。。

まずは、精神と物質という分類で。。。と思ったのですが、そもそも価値って精神上の現象じゃないですか。となると、事物が精神か物質でどのような価値判断に別れるかってことを分類できるかも?

経済的価値(対象は精神・物質ともにあり得る)

使用価値(対象は精神・物質ともにあり得る)

交換価値(対象は精神・物質ともにあり得る)

宗教的価値(対象は精神・物質ともにあり得る)

理論的価値(対象は精神)

道徳的価値(対象は精神)

真善美的価値(対象は精神)

社会的価値(対象は精神・関係性)

権力的価値(対象は精神・関係性)

あんまりうまい分類じゃない。。。

 

お金にできるかできないか?

経済的価値(できる)

使用価値(できる)

交換価値(できる)

宗教的価値(できない)

理論的価値(できない)

道徳的価値(できない)

真善美的価値(できない)

社会的価値(できない)

権力的価値(できない)

これもあんまりうまい分類じゃない。。。

 

利用して価値を感じるものか?

それとも思想に影響を与えることで価値を発揮するものか?

経済的価値(利用)

使用価値(利用)

交換価値(利用)

宗教的価値(思想)

理論的価値(利用)

道徳的価値(思想)

真善美的価値(思想)

社会的価値(利用)

権力的価値(利用)

これはなんか納得感があるので採用してみる。

利用することで価値を感じるものは?

・経済的価値

・使用価値

・交換価値

・理論的価値

・社会的価値

・権力的価値

 

人の思想に影響を与えることで価値を感じるものは?

・宗教的価値

・道徳的価値

・真善美的価値

 

人の思想に影響を与えることで価値を感じるものは、現状で納得感のいく答えを出せそうにない。少しだけ、触れておくなら、ここの価値観に対して影響を与える要素を見出して、コントロールすることができるなら、人の多様な価値観を奪うことも増やすことも可能になるのかな。ただし、今回は、利用することで価値を感じることに関して言及をしていこうと思います。

利用する方向性

先ほどの利用することで価値感じるという価値に関して考えを進めていこうと思います。

・経済的価値

・利用的価値

・理論的価値

・社会的価値

・権力的価値

これらの価値は利用を伴って価値を感じると判断したわけではあるのですが、

利用する方向性としてはどのようなことが考えられるでしょうか?

 

結局は人間が価値を感じるわけですので、情報収集の状態から行動までのプロセルとしては、人間の五感を通して情報をインプットをして五感を通して行動としてアウトプットをするという流れになると思います。(簡単なモデルは以下)

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(ちょっと具体的なモデルは以下)

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そこで、僕として価値の究極的な方向性としては以下が考えられると思っています。

 

情報価値

質の高い情報

質の低い情報

 

感覚価値

感じることの価値

感じないことの価値

 

 

思考価値

考えることの価値

考えないことの価値

=====思考は記憶があってはじめて出来ることから=====

知識(記憶)

知ることの価値

知らないことの価値

==============================

 

行動価値

行動することの価値

行動しないことの価値

 

先ほどのモデルから言うとこのようになるように考えています。

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以上の要素の共通点を主観的にまとめると以下のように言えます。

 

選択価値

することの価値

しないことの価値

 

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また、

選択した後には変化もしくは変化しないことを望んでいるとも考えられること、

そして、各プロセス毎に同様に変化が起こり得ること、

ここまでは個別の視点に立った場合ではあるが、

全体的な視点に立った場合、

他人もしくは自分のアウトプットが他人もしくは自分のインプットなることを考えると変化することは避けられないとも考えられるが、複雑になるためにこの点に関しては考えないことにします。(下のモデルでは考えていない。というかさらに具体的にしたところでどうやって変化するのかわからないからあんまり考える意味がなさそう)

まわりくどく言いましたが、

ここで言いたいことは変化にも価値があるということです。

 

変化価値

変わることの価値

変わらないことの価値

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お金は価値を示す?

上記において、価値がお金として計算可能なのかどうかということから分類を試みましたがお金として計算可能な価値は利用することで感じる価値の中でも、経済的価値の中の交換価値と利用価値しかありませんでした。他の、理論、社会、権力などはお金として計算することはできません。

このような現実に直面してようやくお金がすべての価値であるという幻想を打ち砕くことができるかもしれませんね。

ここでわかることはお金が現実の価値をすべて表しているとは言えないということだと思います。

昔、CMで流れていた〜〜はプライスレスと言ったようなセリフは綺麗事や間違いではないことがわかります。

まとめ 

ここまでの内容をまとめましょう。

 

価値という言葉がしっかりと認識されるようになったのは19世紀末であり、そこから価値という言葉の定義を巡って様々な論考が進められてきました。

 

そして、価値を感じるのは人間そのものであるので、人間がモノを感じなければ、価値を感じないことになる。だから、人間とモノと感覚がなければ価値はないとも言えます。

さらに、価値は大きく分けて物質的価値と精神的価値の二つに分けられる。

 

物質的価値は主に経済的価値、社会的価値、権力的価値、理論的価値(技術的価値とも)、などに分けられます。特に経済的価値は、利用価値と交換価値に分けることができます。

 

精神的価値とは道徳、美、宗教などの思想に影響を与えるということで価値を生み出す。そして、このうち、精神的価値に関してはどのように考えればいいのか検討がつかないため、物質的価値に関して集中して考えることにします。

 

その結果、物質的価値ないし、経済的価値においては、情報価値、感覚価値、思考価値、行動価値という価値に分類できる。これらの人間のインプットアウトプットに沿った各プロセスでは常に選択という思考プロセスとも強く関係している。

 

さらにその選択プロセスについて言及すると、選択という行為は変化ないし不変というインセンティブから生じる行為と考えられます。

 

ここまでの論点から注意すべきですが、価値だからと言って全てが金銭的な価値と結びつくというわけではないということです。

 

物質的価値の経済的価値にしか金銭的価値と直接的に結びついていません。

その他の、社会的価値、権力的価値、理論的価値は金銭的価値と結びついていないのです。

 

現在、生きている世界は資本主義という考え方が一般的になっています。

このような世界では貨幣が絶対的な価値として扱われる傾向にありますが、

実は決して絶対的な価値ではありません。

 

しかし、絶対的な価値ではありませんが、貨幣によって様々なことが数字の価値として表される傾向にあります。このような世界では貨幣価値の高低が様々な制限になったり、相対化させるといった効果があります。

 

価値はあくまで人間個人の絶対的なものですが、価値の交換によって一時的に貨幣に価値を移し替えておくということをします。そして、必要があれば他人の価値と交換を行います。よく為替の世界では基軸通貨やブリッジ通貨と言ったりますが、貨幣はブリッジ価値とも言えるででしょう。

 

実は資本主義には、ここに一つの矛盾のようなものが存在しています。

 

個人の絶対的な価値を貨幣というブリッジ価値によって相対化を試みているということです。しかし、実際には個人が感じる価値は日本に生まれ育った人とアフリカに生まれ育った人、貧乏と富豪とでは明らかに違いますし、若い人と高齢な人では大きく違う傾向にあります、さらに個人の性格によっても違います。これらの人間の生活環境によって大きく価値は異なっています。さらに、各シーンによって価値の感じ方は大きく異なるでしょう。例えば、北極で飲む冷たい水と砂漠で飲む冷たい水とでは価値に大きな差が生じるはずです。これらを統一的な貨幣価値で表現することは可能なのでしょうか?

 

現実の経済学の世界では、これを需要と供給のバランスによって価格が決定されることを説明しています。需要(欲しい人)が多く、供給(あげる人)が少なければ高価格、需要が少なく、供給が多ければ低価格になると言われています。しかし、これはあくまでも利用価値のみについて考えられた理論です。(ちなみに、交換価値も需給の関係で説明されています)

 

なので、このような論理の下では、価値がまるで相対化されているような錯覚に陥りますが、実際は違うとも言えるということです。

 

だからと言って、誰も欲しい人がいないにも関わらず、高尚で人類に役立つことをいくら取り組もうと世の中は価値を感じないのです。人類としての価値よりも、世の中は個人の価値で動いています。

 

以上の意味から、ビジネスにおいては、現在は資本主義が一般的な思想になっているので、実際のところ価値は相対的ではないにも関わらず、貨幣によって相対的に見えます。また、主要な国や主要な人々は資本主義の思想を下に行動しているので、需給で世の中を説明していて、一定のレベルで説明もできます。

 

さらにまとめると、

ビジネスとは価値提供です。(問題解決とも)

しかし、現在の世の中では価値提供には価値の交換が伴います。

 

その交換先が貨幣になっており、次第に貨幣そのものが価値を持つと信じされるようになりました。(これが紙幣であることと電子データであることに大きな違いはない。ただみんなと交換できる、みんなが価値交換のモノだと知っていればいい)

 

ビジネスでお金を稼ぎたいと思ったら、(需要と供給を考えるとすると)

・ある価値(問題解決)欲しい人がいるか

・価値提供するのにコストはいくかかかるか

・ライバルはいるか(どのように参入してくるか)

というポイントを考える必要があります。

 

ここまでが現世界における価値から考えたビジネスへの価値提供の応用です。

 

先ほどの話に戻りますが、人間個人の価値は絶対的なモノであり、相対化されていることは幻想であるよね〜的なことを言っていましたが、それは、人間の価値が数値として解明されないことを前提としています。仮に、人間の思想や発想、感覚が数値として記録されるようになってきたら、人間個人の価値そのものも相対化されるようになってくるでしょうね。実際に世界的にはそのような動きがあるように思います。

 

ひとまず、今回のテーマはここまでとさせていただきます。